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長興寺(ちょうこうじ)は愛知県豊田市にある臨済宗東福寺派の別格寺院。山号は集雲山(しゅううんざん)。本尊は十一面観音。開山は太陽義冲。 == 歴史 == 建武2年(1335年) 三河国衣(ころも)城主〔「衣」を「挙母」と表記するようになるのは、天和元年(1681年)、本多家が藩主となってからである。〕中条秀長が菩提寺として太陽義冲を招聘して創建。当時の寺域は南北5丁余り、東西4丁余り、18坊に及ぶ塔頭が建ち並び、地域最大の寺院であった。 室町時代中期、応仁の乱(1468年 - 1477年)後、中條氏の衰退と共に衰退。永禄10年(1567年)には、余りの偉容に城と間違えた織田信長の兵火によって焼失した。天正11年(1583年) 信長の家臣で衣城代の余語正勝が、再興した長興寺で信長の一周忌法要を行った。その際に、日本の歴史教科書にも掲載されている狩野元秀筆の「紙本著色織田信長像」〔信長の戒名は「総見院殿贈大相国一品泰巖尊儀」であるが、これには「天徳院殿一品前右相府泰岩浄安大禅定門」と書かれている。〕(重要文化財)が寄進された。 元禄年間(1688年 - 1704年) 本堂、庫裏を重建。現本堂は昭和50年代 鉄筋コンクリート造で再建されたものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長興寺 (豊田市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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